夏休み耐久レース
やっと 折り返し地点が見えて来た ゆり太です。。
暦は いわゆる 「お盆」期間中
ご先祖様や 亡くなった方の霊を
お迎えするのが
古くから 習わしと 言われています
そんな この時期
私は ある存在が 心に思い浮かびます・・
今日はそんなこと書いていきますので
どうか最後まで お付き合い下さいな。。
特殊な家柄?!
私が育った家には
仏壇など特に無く
亡くなった 祖父母達の写真が
フレームに入れられ
茶の間のタンスの上辺りに
置かれていた程度で
玄関先に キュウリとか茄子とか
色とりどりの ラクガンとか
そう言った
「お盆」の定番?!的な事は
一切 やっていませんでした。
なので 本家に
親戚一同集まって
お坊さんにも来て貰って・・って
そう言う 風景は
テレビでしか 見たことがありません。
元夫の実家は キリスト教徒でした。
現在の夫の父親(義父)は
古くから続く
神社の家に 生まれたとのことで
両家 共に
お盆に 訪ねたとしても
私が テレビで見たような
そのような光景は
目にすることは 無かったのもあり
イマイチ 日本の古くから続く
お盆の風習というものから
私は 遠くかけ離れた 環境で
長いこと 生きております。
小さなお地蔵さん
ある時・・
おそらく 私が
小学校2,3年生あたりから
茶の間にある 祖父母達の写真の横に
とても小さな 手のひらに
乗るほどの お地蔵さんと
おちょこぐらいの大きさの
陶器に入った お水が
置かれるようになり
お地蔵さんに手を合わす 母の姿を
度々 目にするように なりました。
でも 不思議と その お地蔵さんが
なんなのか??
母に 聞こうとか
思わなかったのです。
よく 道ばたに お地蔵さんがいたら
子供の頃 なんとなく
手を合わせていたりしたような・・??
そんな 感覚ありませんでしたか??
「昔ばなし」などでも
貧乏なおじいさんが
売れなかった笠を
お地蔵さんに 被せてあげ
そうやって
お地蔵さんに 親切にすると
幸せなことが 起こるように
きっと 私の家に来た お地蔵さんも
ウチに 幸せをもたらす為に
置かれるようになったのだと
そんなふうに
無邪気に 思っていたのでした。
お地蔵さんの正体
私も成長した ある日
正確には覚えていませんが
まだ 実家にいた頃なので
おそらく
成人する前後だったと思いますが・・
母が 私に
とんでもない告白をしたのでした。
長らく ウチの茶の間の
タンスの上に置かれた
あの 小さなお地蔵さんは
「水子供養」の お地蔵さんだったと 言うのだ。
聞けば 私も2歳上の兄も
まだ 幼稚園にも上がっていなかった
とても 小さく手のかかる時期に
母は 3人目を 身ごもった。
けれども 経済的な事情から
その子を 諦めざる得なかったのだと・・
全ては 私と兄を食べさせるため
そうするしか無かったのだと・・
私達が小学生になった時
旅行先で
たまたま お地蔵さんを見つけて
父と 「買おうか」と ・・
私が まるで聞いてもいない事を
母は 突然 語り出し
戸惑いしか ありませんでした。
未だに 何故 母が
そんな話を 突然してきたのか??
全く もって 不明です。
そして お腹の子を
諦めた直後では無く
何年も経過した 楽しい??旅行の時に
どうして??
その 空白の何年間は
供養の為の お地蔵さんを
買わないでいたのに??
複雑な感情を抱く 私に
母は 繰り返し
「ゆり太と お兄ちゃんを
食べさせなければならなかったから」
そう 言い放つだけだった。
私は けっして その場で
母を否定することも
責める事も していない
なのに 母の口調は どこか
私は その子を犠牲にしたお陰で生きれている
そう 言いたげで
未だに 私には そう聞こえている。
この世界で生きている 自分
母の一方的で 身勝手な告白から
随分 時間が経ちますが
私にとって
ツラい事実である事は
言うまでもありません。
ましてや 母は
私や兄の為にそうしたと
普通に 私に言うのです。
その子が生まれて来れなかったのは
私と兄のせいなんでしょうか・・??
ちなみに このことを
兄は知りません。
何故 私だけに
こんなにも 残酷な話を
母はしたのでしょうか??
私じゃ無くて 本当は
その子に 生まれてきて
欲しかったのでしょうか??
無責任な 両親の決断に
そんな 押しつけがましい
言い訳をされた 私など
本当は いなくても 良かったのかな・・
父と母の元で
幸せだと
心から思えたことが無い私は
生まれたのが 私の方で
良かったと思います。
その子も きっと
こんな 父と母の元では
幸せになれなかったと 思うから・・
私が その子に変わって
ツラい子供時代を
過ごして来たと 思いたいです。
私は この世界で生きて
この目で 色々な
景色を 見ることができて
3人の子供の母にもなれた。
いつも こころの何処かで
弟か妹かに
自分は代わりに生かされているような
そんな 気持ちになります。
自分の為に 犠牲になった・・
そういう 罪悪感は
母の言葉によって
抱いたのであり
弟か妹は きっと
私がちゃんと 生きている
これまで 必死で
生き抜いて来たことを
認めてくれていると
そう 信じたいです。
生まれてくる場所
親は 選べないのだと 改めて痛感。
今日も ここまで お読み頂きまして ありがとうございました。。
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