発達障害の夫ベンコロ~抹消された 父の日~

※アフィリエイト広告を利用しています
※アフィリエイト広告を利用しています

~家族構成~

夫:通称 便所コオロギ

(略称ベンコロ 高確率で発達障害)

長女:

(元夫との娘24歳社会人・昨年8月からひとり暮らしスタート)

長男:ぱる太

(夫由来の発達障害を持つ。小学6年生)

次女:

(小学2年生)

塗りつぶされてる 6月18日

リビングの壁に 掛けてあるカレンダー。

ここには 子供達の習い事をはじめ

様々な予定が 書き込んであります。

この時代に生きているので

スマホで スケジュール管理を している人の方が

圧倒的に多い??のかも知れませんが

1度 文字として書いて置く方が

よく 覚えていたりしませんか??

私は そのタイプなのもあり

いつも 目に入る位置に

予定が 既に 書き込まれていたりすると

安心なのです。

小学2年になった次女は

漢字や ローマ字など 少し書けるようになり

このカレンダーに ちょこちょこ

勝手に予定を 書き込むようになりました。

予定・・と言うよりも

家族の 誕生日や

自分の楽しみにしている事などですが 笑

もうすぐ

今月5月も終わり 6月になるので

ぺらっと 1枚めくると

6月1日(木)には

「ゆりたのブログ1しゅうねん」

書かれてあり 爆笑したのですが

6月18日(日)は どうしてか?

鉛筆で 雑な塗りつぶし方が されていました。

父の日なんか いらない

よくよく その 塗りつぶされている

箇所を見ると 『父の日』

カレンダーの デフォルトで 印字されていました。

ベンコロの誕生日は 3月なのですが 

そう言えば 家族の誕生日は

亡くなった わんこ ハナの誕生日まで

忘れずに書かれてあるのに

ベンコロの誕生日のみ

カレンダーに 書き込む事を

次女は していませんでした。

理由は聞かなくとも 分かりますが

次女の中で ベンコロは

家族としてはもちろん

父親とも思えない存在 なのでしょう。

こんな 小さな女の子が

本来 抱えるはずの無い 『闇』を

心に抱えている事に

私は 言いようのない罪悪感を 感じました。

同時に その罪悪感を

何故 自分が 感じなくてはならないのか??

単に ベンコロを結婚相手として

選んでしまったから??

そんな ヤツと 出会ってしまったから??

取り戻せない 過去に

何を問うたところで 無駄なのは

分かっているけれど やるせない。

次女の心まで 蝕んでる ベンコロの存在が 許せない。

のうのうと 暮らして居るベンコロ

ゴールデンウィークも無視

5日(こどもの日)の ぱる太の誕生日も逃亡

依然 パパ(義父)から貰った

裏金問題もスルー

家の事はもちろん

子供達の事をも 全て放棄し

ジメジメした汚部屋で 汚らしくコソコソ

寝たふりしたり トイレに隠れたり

とても 人生半分

生きている人間が 取る行動とは

到底 思えない

小学生にも劣る その人間性に

怒りはもちろん 哀れみさえ感じます。

こんな 人間に 私だけでなく

家を出て行った長女

誕生日すら 放り出された ぱる太

まだまだ 男親に

反抗する年頃ですらない 幼い次女までもが

不幸な 負の感情に

心を侵食されているのかと 思うと

絶望的な 気持ちになるのです。

発達障害だけが 原因??

ベンコロは 自分が発達障害だと思っていない

思いたくないので 受診やカウンセリングも拒否。

ましてや 自分のせい??で

ぱる太が 発達障害の診断を受けているなどと

責任すら感じていません。

もちろん 私は ベンコロも

好きで 発達障害として 生まれて来たわけでは

無いと思うので それを理由に

責めたことは無いのです。

ただ 自分の子である ぱる太の事も

まるで 異国の地で起きている

紛争かのように 全く 無関心。

なので どれ程 ぱる太の育児や教育に

私が 途方もない時間と

精神を削っているかなど

全く持って 他人事なのです。

これは ベンコロにも問うた事があるのですが

「今 現在 アナタは幸せなのか?」

「少なくとも 私には 今のアナタが幸せそうには 見えない」

ベンコロは 無言でしたが

少なくとも 幸せな 人間は

家族に隠れて 逃げ出したり

コソコソ夜中に帰って来たり

そんな 生活をする必要は無いのです。

「自分は幸せでない・・」

それをも 認めようと

受け入れようと 出来ないばかりか

その 原因は 自分以外の

周り (親や私)にあるのだと

ベンコロは本気で 思っているのです。

何不自由なく 育って来たベンコロは

生きていく事 そのものに

覚悟?と 言うのか?

自分の足で 立つこと

どんなに足が 痛んでも

自分の足で 歩かねばならぬ事

そう言った 成長するプロセスの中で

誰しも少なからず

経験する ネガティブな事にも

ほぼ 触れることなく

誰か(親)によって

生かされて来ていたのでしょう。

確かに

自立を促さず 充分な大人になっても

まだ 自分の手元に置いておきたい

心配で その手を離せないでいた

義父にも 大いに問題は

あるのだと思いますが

1番の原因は その

いつまでも溶けることの無い 飴の如く甘く

欲しがるだけ 与えられ

そんな環境を 当然とし 生きて来た

ベンコロに 問題があることを

本人は 一生 気付くことなく

このまま 年老いていくのか・・??

その どうにもならない

生産性も失ったベンコロを

今後 誰が 面倒見るのか??

そんな いずれ やって来るであろう

理不尽な将来が 不安でたまりません。

真逆過ぎる 環境

これは 『毒母カテゴリー』でも

お伝えしているのですが

私は 常に親から否定されて 育ちました。

なので 自分が 周りから好かれてるとか

ほぼ 思わない方の 人種です。

これとは 逆に ベンコロは 常に

『ベンちゃん ベンちゃん』

(悪寒が・・)

3人兄妹の中でも 末っ子の妹を差し置いて

チヤホヤされて 育っていたらしく

自分が 誰かに 否定されるなんてことは

夢にも 思わず育ったのでしょう。

それを 如実に感じたのが

義妹の 結婚式に出席した時。

あの ベンコロは異様でした。

親戚の人から 『ベンちゃん』

そう 声を掛けられる度に

いちいち 私を 振り返り

自分はどんなにか 周りに愛されているかを

私にアピール??して来たのでした。

特に 義妹の幼なじみの

女友達2,3人に 挨拶をされた時は

今 思い出しても

完全に 頭がおかしい人

浮かれる通りこして 恐さを感じました。

親戚始め 友人の方々も

新婦の 直接の身内にあたる人間に

『おめでとうございます』

挨拶くらいして 当然なのを

ベンコロは 自分にだから

人が寄りつき

声を掛けてくるのだと

本気で思っているのが

かなり 気持ち悪かったです。

かなり 脱線しましたが

ベンコロにとって

発達障害と受け入れたら

いつもみんなに人気で

好かれているベンちゃん

では いられなくなると

恐れているのか??

そもそも

いつも 人気で何チャラだって

ベンコロの思い込みなのに?!

自己肯定感 高すぎのベンコロは

自分が否定される事だけには

とてつもなく 敏感で臆病です。

『世の中に 必要で無い人間はいません』

これって本当ですか??

私は そうとは 限らないと

ある時から 感じています・・

今日も ここまで お読み頂きまして ありがとうございました。。

お名前.com

コメント

タイトルとURLをコピーしました