何日か前に『ギフテッド』についての記事を書いた。
個人的に ギフテッドで無くても 誰もがみんな ひとりひとり 生れながらの才能を 持って生まれてきてるんじゃないかな??って 思ってる。
うちの ぱる太は もちろん ギフテッドでは無い。
それどころか どちらかと言うと 高い才能よりも 周りよりも低い評価を 受ける場面の方が多い。
幼稚園時代 トラブルが 多かった ぱる太は どうしても 苦手なこと 出来ないことばかりにスポットが当たっていた。
そんな中 年中の時の担任の先生が
「ぱる太くん 工作の時間は ものすごく 集中してるんです。」
ある日 おっしゃった。
そう言われてみると ぱる太は 普段から家でも 何かの空き箱や廃材を使って 様々な物を 毎日 黙々と作り続けていた。
「そういう 制作することへの興味を すごく 持っていると思います。」
同時に ぱる太の作品の完成度も 周りのお子さんよりも高いと 褒めて下さった。
何処に行っても 何をしても トラブルにまみれまくっていた 私たち親子が 初めて
誰かに 良い評価をして貰えた出来事だった。
ぱる太の1ミリでも 他の子よりも 「イイね!!」って部分を
引っ張り出そうと、引っ張り出さなくては!!と、先生にお話を伺ってから
私は毎日 子供のアトリエを 探しまくった。
ネットなどに 真っ先にヒットするのは 美大進学コースのような ガチガチの教室で
ぱる太は どちらかと言うと 絵画やデッサンよりも 造形が得意で好きだった。
ぱる太に合いそうな 教室が なかなか見つからず あちこち 問い合わせのメールを入れるも
ASDとADHDだと 伝えると 断られてしまうケースもあったりした。
少しでも ぱる太の好きなことで 自信を付けてやりたいと 必死になっていた私に
手を差し伸べてくれた ひとりの先生がいた。 N先生だった。
自宅をアトリエとして開放して居たN先生は 頭にバンダナを巻いた ちょっとファンキーな年配女性だ。
その日の 決められたお題を制作し終えたら 後の時間は自由!!と、言うN先生のスタイルが
ぱる太にカチッとはまった。N先生のアトリエにも 沢山の空き箱や 廃材があり ぱる太はそこでも 自由に 自分の思う作品を作り続けていた。
入会後しばらくして ぱる太より ひとつ年下の 男の子が入ってきた。その子とちょっとしたトラブルが起きたとき ぱる太は手をあげようとしたのだ。
すかさず N先生は
「それをしたら ここには 来れなくなるよ。」 N先生の言葉に
ぱる太は 固まった。
私に怒られるよりも N先生のその言葉は ぱる太にとって とても重い意味を持っていた。
ぱる太は その日からアトリエ内で トラブルやもめ事を起こさなくなった。
ぱる太が通っていた 曜日は たまたま男の子ばかり 1年生から6年生まで6人居た。
男の子の兄弟が居ない ぱる太にとって とても身近で 大切な 兄貴や弟たちだった。
幼稚園でイヤな事があっても アトリエの日はとてもウキウキしながら帰ってきて
ますます 作品を作ることが大好きになっていた。
ぱる太が1年生になった 秋頃
N先生は 突然体調を崩し しばらく アトリエがお休みになった。2,3ヶ月ほど お休みが続いたあたりに 先生から ご病気で手術し、入院中だと LINEが入って 驚いた。
正直 そこまで 深刻な状況だと思って居なかった私とぱる太は とても驚いた。
そこから 更に 半年ほど レッスンのお休みが続いたのだった。
次の記事に 続きます。
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