女同士

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2件の業者さん お招きしながら

ブログを書いている ゆり太です。。

(自宅のメンテナンス)

つい最近

「女の友情は 生ハムよりも薄い」

なんて言葉を 耳にしました。

うん 確かに 私自身

過去の経験からして

肯定 出来るような

出来ないような・・

今日は そんなこと 書いていきますので

どうか最後まで お付き合い下さいな。。

自分自身と繋がった友達

先日 次女 幼稚園時代の

ママ友4人で 久々 会って来ました。

もう いい加減 この「ママ友」って

言い方も どうなんだろ??

確かに きっかけは 子供を通して

知り合ったのだけど・・

子供達も それぞれ

別々の 小学校へ行き

特に お付き合いを続けなくては

困るって・・関係性でも

全然 無いにも関わらず

連絡を取り合い 

数ヶ月ペースで 今だに

顔を 会わせている。

そもそも 幼稚園時代だって

子供同士も

そこまで 親しかったのか??

ってゆうと

そんなでも?無く??

たまたま クラスが同じと

ゆうくらいで

どちらかと 言ったら

母親同士が 子供関係なしに

勝手に 仲良くなって行った・・って

感じだった・・ような??

なので 純粋に お互い

自分自身が繋がった 女友達として

続いてるのだと 思っている。

罪悪感

彼女らは 屈託無く

まるで 学生時代に 戻ったような??

自分の家や 子供の自慢をする

「ママ友」は 世間でも

さほど 珍しくもありませんが

彼女らは

同じ 母親で主婦ではあるけれど

そんな つまらない 話を

いちいち してくるような

人柄では 無いのだ。

人を信じる事が 苦手な私だけど

彼女らとは 安心して そこに居ても

大丈夫なような 気がしている。

だけれども

自分に 離婚歴があったり

水商売を やっていたこと

このブログのこと

YouTubeのこと

(そもそも ピアノをやってるってことも)

未だに 黙っている。

自分たちの事を 素直に話して

時に 涙したり

心を開いてくれている

彼女らに

何というか・・

本当の自分を

さらけ出していない

『罪悪感』に 近い気持ちを

抱いたりもする。

涙する 友達

信用出来る友人だからと言っても

別に 全てを打ち明ける 必要もなく

また 彼女らに それを

求められてすらいない。

集まった日 ひとりのママ友が

幼稚園時代

ある日 お迎えに行くと

園庭にいた ママ達が

一斉に 背中を向け

その時を境に

よそよそしくされた・・と

話しながら  涙した。

仲良くしていた人間が 

自分から 突然 離れて行く・・

自分を裏切り

傷つけた 人間に対して

腹が立つのに 怒りたいのに

怒れない

そんな 自分にも 腹が立つのだと・・

そう 声を詰まらせながら

私達に 申し訳なさそうに 話す

そんな ひとりの ママ友を見つめ

自分も 同じのような気がした。

同じだけど

私は そんな気持ちも

自分の中だけに 隠している・・

表に出すことの無い 感情

小さな 子供時代から

人前で 泣くことも イヤだった。

実際 母親にも

人前で泣くのは みっともないから

止めろと言われて 育った。

だからなのか??

例えば 卒業式など

周りが 泣いていて

自分だって

その想いに 共感しているハズなのに

それでも 人前で

感情が高ぶり 涙を流す事は

大人になってからも

ほとんど 無い。

レストランで 人目も はばからず

泣いている 目の前の

ひとりのママ友が

なんだか とても 羨ましく

素直に感情を

表に出せない 自分自身に

言い様の無い 悲しさを 感じた。

無意識の警戒

「ゆり太って 心の底が見えない。」

夜蝶時代に お客様にも

何回か 言われた事があった。

夜の世界と言う

特殊な環境下で あった為

本来の 自分の姿や

自分の 弱い部分を

他人に明かす事は

非常に リスクを伴う。

なので お客様に対しても

敢えて そう 対応していた部分も

あるのだけれども

私の場合は 仕事でなくとも

おそらく 無意識に

自分に 近づいてくる人間に対して

警戒しているのだ。

誰かを 信じれば裏切られる

裏切られたと 感じるのは

相手を 信じていたからであり

信じていたから 傷ついたと感じる

だから 最初から

誰にも 自分を見せない事が

自分を保てる

ただ ひとつ の方法なのだと

ずっと ずっと そんなふうに

思って生きている 自分。

自分を見せて

感情をあらわに

さらけ出したとしても

自分から 誰かが 離れることも

普通に あるのだ。

ならば そんな 感情も

何処かに 放り投げた方が

自分にとってラクなのだろう。

いびつな 自分

人間らしい彼女らと

一緒にいる時間 ずっと

そんな自分の いびつさが

気になった。

そんな 自分を

なんでなんだろうな・・と

思った。

私も 怒りたいのに

笑っていたり

イヤな言葉を 言われてるのに

自分の方が 謝っていたり

悔しいのに

そして 自分だって 怒りたいって

目の前で 泣きながら話す

ママ友と 同じように 思うのに

その正直な 気持ちを

誰かに 話すのも

私は 苦手だ。

泣くのも 怒るのも忘れ

ただ 笑顔でいる事だけで

その場の 均衡を保とうと

している自分を

どうにも出来ない。

理不尽な体験の積み重ね

いつかの記事にも 書いてますが

私は 中学時代

ある事が きっかけで

学年の ほとんどの女子に

無視され

無視しないまでも

ぎこちない よそよそしい態度を

取られ ツラい

中学時代を 過ごした。

美容師時代も 夜蝶時代も

通常の職場とは 異なる

人間関係があった。

ぱる太の事で

あからさまに バカにした言動を

取られる事だって

しょっちゅう

思えば 自分は

それらを まるで 普通のことのように

受け止めている。

そう・・

泣くほどの事じゃ無い

腹を立てるほどの事では無い

子供の頃から ごくごく

普通に そんな理不尽な状況に

あった自分にとって

それら全てを

受け止めていたら

きっと 自分が壊れてしまうと

いつからか

思えるように なっていた。

信じている人達の前で

涙すること

弱くて 傷ついた姿を

さらけ出すこと

まだ 自分には出来ないけれど

誰かにとっての自分が

信じられる 存在であるならば

今は それで 良いのだろうか・・??

今日も ここまで お読み頂きまして ありがとうございました。。

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