
ゆり太です。。
「個別級」ではなく
「このまま一般級」
この
ぱる太 本人の 決断を
尊重すべく
新たな方法を 模索するも
その後 思いがけない状況に
発展してしまい・・
今日は そんなこと書いていきますので
どうか最後まで お付き合い下さいな。。
急な呼び出し
半月ほど前の 昼過ぎ
突如 学校から 電話が鳴った
昨年末 面談した
学年主任の男性教諭が
「ぱる太くんの事で
お話したいことがありまして
急なんですが
明日 学校に来れますか?」
本当に 急だ
もし 今 長女の時の様な
仕事の仕方を していたら
こうした 急な呼び出しに
逐一 対応する事は
まず 無理だっただろう・・
スマホに左頬を はり付け
ぼんやり 十数年前の
自分の生活を 思いだしつつ
学年主任の
少し 早口な話し声に
数回 相槌を打った
「私 これから 出張で
出なくてはならないので
詳細は 明日・・」
あまりに急で一方的
その上
中途半端な含みを持たされ
通話は終了した
出張間際
急ぎの 学年主任の
かいつまんだ話しによると
数学の授業が 始まる前
クラス中の友達に
「家に居場所がある??」
追い詰められたような表情で
ぱる太は そう
尋ねまくっていたと 言うのだ
いつもと 明らかに
様子が おかしいと感じ
数学の先生が 保健室に
ぱる太を 連れて行き
午後 数学の先生と
学年主任2人で
ぱる太から 話を聞いたのだそう
「こちらも ぱる太くんからしか
話を聞いていないので・・」
何か 言いたげな
そんな物言いが
余計に 私を イラ立たせた
親子の適度な距離感
学校からの 電話を切り
間もなく ぱる太が 帰宅したが
たった今 電話があったことは元より
学年主任に 聞いたことは
一切 尋ねる事はしなかった
ぱる太が 無造作に置いた
空の 弁当箱を
洗いつつ
何となく
自分の 子供時代を
重ねるように 振り返った・・
例え 知っていたとしても
何も 言わない 聞かない
そう言った 距離感を
私は 自分の母に
何より 求めていた
思春期にもなれば
親を 鬱陶しく感じた経験は
きっと 誰しもあるだろう
私の母は とにかく
執拗に 私の友達関係や
行動(出掛ける場所など)に
口出しをして来た
ある時
たまたま 部活の男子から
練習の変更等について
連絡の電話を
母が取り次ぐと
その 会話(電話)に
側で聞き耳を 立てていたり
勝手に 日記を盗み読んだり
遊びに来た 友達の素性を
根掘り葉掘り聞いたり
そんな 母を 当時
死ぬほど
気持ち悪いと 思っていた
(今でも そう 思う)
年頃になれば
親に 話したくないことなんて
どんな 真面目で大人しい子であれ
多少 あっても
決して おかしい事では無いのに
それを ウソついているだとか
後ろめたい事が無いのなら
隠す理由など 無いだとか
血眼になって ぶつかってくる
そんな母に対し
私は 本気で
嫌気が差し
聞かれたところで
ホントの事なんて
言うワケないじゃん
やがて
そんなふうになって行った
自分が 納得出来るような
答えを 私がする以外
一切 何も 認めようとしない母に
言葉として
何かを 伝える事が
もう 面倒でしか無かったからだ
まだ幼い我が子
ぱる太が 先生方に
どんな事を 話したかは
だいたい 見当はついている・・
昨年12月の 面談後から
バタバタ
あちこち 塾の体験に
放り込んでいた
おそらく 変化を苦手とする
ぱる太にとって
その事が 負担だったのだ
今後 自分の生活が
どのような方向に
変ってしまうのか
不安で 仕方無いのだろう・・
それは 私とて
分かっている
分かっていながら
敢えて それをしている
理由は他でも無い
ぱる太 自身が
「一般級」を 選んだのだから・・
「個別級」であれば
色々な場面で 一定の配慮や
サポートが 得られる
だけども それを選ばず
敢えて 険しい道を
選択したのなら
むしろ 変化を求められることから
逃げてはいられないのだ
その事を 一体 どれ程
ぱる太自身が
理解 出来ているのかは
現段階では 未知数だ・・
今まで
いつでも 何処へでも
一緒だった私から
突然 梯子を外されたと
きっと ぱる太は
思っているのかも知れない
まるで 楽しく安全な
幼稚園のプールから
突然 冷たく 暗い
横浜港の海に
置き去りにされたぐらいの
ショックを 抱え
心細さに 耐えきれない
思いなのかも知れない
そんな 幼すぎる
もうすぐ中学2年に
なろうと言う 長男ぱる太に
心を 鬼にして接する
私の気持ちなど
分からなくて 当然だろう・・
そう 頭で理解しつつ
気持ちは 複雑だった
学校の会議室
翌日 14時
私は 学校の会議室で
ガタつくパイプ椅子に
座っていた
目の前には
前日 ぱる太を保健室に
連れて行ってくれた
数学の先生と 電話を寄越した
学年主任が 座っている
「ぱる太くん お母さんとの関係に
悩んでいるようです・・」
学年主任が
そう 言いづらそうに
話し始め
続いて 数学の先生が
「家に居場所があるか??」
そう 周囲に聞いて回っていた時の
状況を 詳しく話した後
付け足すように
「これらについて お母さん
お心当たりなどは・・」
気まずそうな表情を
目の前の 先生2人に
向けられた
私は 淡々と 昨年末
面談の後の経緯を 話した
現時点で どんなに
「個別級」を選択する事が
相応であったとしても
「一般級」を選んだ
ぱる太の意向を
親として 私は
尊重したいと思うこと
その決断が 今後
どのような 結果を生むのかは
不明だが 後に
然るべきタイミングが
あるとするなら
修正を諮(はか)る 考えもあること
また 年末から
複数の 塾の体験など
それらが ぱる太の気持ちに
負担になっているであろうこと
しかし それは
「一般級」を選択した
ぱる太自身にとって
これから置かれるであろう
今より厳しい環境に備えるべく
必要な対策であること
それらを
先生達との 間に置かれた
長い机に 並べるかのように
私は ただ 無表情で
尋ねられた事に対する
回答を述べた
そんな 取り調べのような
会議室での 面談は
1時間ほどで 終了した
「いやぁ~ 以前 お越し頂いた時
お母さんの お話を伺ってて
私も・・まさかとは
思っていたのですが・・」
「本日は お忙しいところ ご足労いただき
ありがとうございました」
そう 取り繕いながら
わざわざ 職員玄関まで
見送りに来た 先生2人に
作り笑いで応え
挨拶をし 校門を 後にした
虐待の容疑
この日も また
私は やるせなさを噛みしめ
ダラダラと
長い下り坂を 歩く
「無いとは 思いますが・・」
お母さんに 暴力を振るわれたり
暴言があったりとか 一応
本人にも 尋ねたのですが
それは 無いと
ぱる太くんも
言ってはいたんですが・・
よく 虐待は 表面化しづらいと聞く
現に 私は 自分の母から
手をあげられることや
玄関から 外に放り出されるのも
日常茶飯事だった
でも それを 誰かに話したいとは
決して 思わなかった
思わなかったけど・・
だからこそ 自分の子供に
手をあげるなんてことは
絶対にするまいと 認識し
今日に 至る・・
一体 私は どうして学校に呼ばれたのか・・
その理由に
私は 「ふざけるな」と
怒鳴り倒してやりたいほどの
怒りを 腹の中に抱えていた
「無いとは 思いますが・・」
この 枕詞さえ用いれば
言われた側の 気持ちなど
関係無いとでも 言うのか・・??
暴力を振るい 暴言を浴びせるような
母親が わざわざ
教育委員会に相談し
校長との面談を 取り付けようなど
考えるだろうか・・??
我が子の あるがままを
必死に 受け止めようとする
母親に対し
虐待を疑うことも
「支援」のひとつとでも
言うのか・・??
灰色のコンクリートの地面を
見つめながら
ひたすら 早く歩くよう
自分の足を 動かした
今日も ここまで お読み頂きまして ありがとうございました。。


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