療育センターの面談の予約は思っていたよりも早く 電話した日から だいたい2週間後ぐらいだったと記憶している。
ただ 後に知るのだけど この面談の日は単なる聞き取りだけで終わり、実際の診察であったり
心理士さんの予約となると 面談の日から更に数か月後となった。
面談を経て ぱる太が療育センターを利用する事になった事をプレの幼稚園には伝えられずにいた。
本来なら伝えるべきことだけど
引っ越しもあり すぐに入れる幼稚園がどこも見つからなかった中で 唯一 受け入れてくれた幼稚園だった。
もし この先 ぱる太が正式に何らかの診断名がつくことになったら
「障害児は無理です」って断られてしまうかも・・・
言いようのない不安と やっぱり ぱる太がおかしい子供だと誰にも知られたくないと思ったからだ。
受け入れようと思う反面、まだ自分の中には そんな気持ちがあることと ぱる太に対しての罪悪感とで ごちゃまぜになっていた。
プレに行くのも だいぶ気が重かった。
周りのママたちに気を使うのも疲れたし クセ強めなNさんの言動も前にも増して あからさまに私とぱる太を見下すようになった。(詳しくは↓↓↓)
今 振り返れば何もそこまで周りに合わせる必要も無かったと思うし
なんなら 幼稚園だってエリアを広げて別な幼稚園を探してみたら入れる所もあったかもしれない。
療育センターの件も含めて別な幼稚園で改めて相談する事だって考えても良かったのに
とにかく 自分とぱる太には極々限られた選択肢しか残されていないと 思いこみ過ぎていたのだと思う。
そして なによりも また ぱる太に対してひどい事をしてしまうんじゃないかと
自分の事が毎日恐かった。その日1日を ぱる太と穏やかに過ごす事だけでも
いっぱい、いっぱいだった中で 新たに幼稚園を探し直して 再びゼロからスタートさせる気持ちの余裕など もう 無かった。
それなのに プレのママたちに誘われたらランチになんか行っていた。
本当に苦痛な時間のはずなのに 断る勇気もなかったのだ。
人の言いなりになってれば 自分を守れると思っていたのかもしれない。
自分の為どころか ぱる太の為にすらなってやしない その関係性は
手放したところで何も問題は無かったはずなのに・・・
それでも 全てにおいて 自分が選択する事も 放棄する事も 諦めてしまっていた。
その頃の自分を思い出すと やっぱり 今でも ツライ・・・
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