ピンクリボン月間。。

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~家族構成~

夫:通称 便所コオロギ(略称ベンコロ 高確率で発達障害)

長女:(元夫との娘23歳社会人・つい最近彼氏と同棲をスタート)

長男:ぱる太(夫由来の発達障害を持つ。小学5年生)

次女:(小学1年生)

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Hiep PhamによるPixabayからの画像

乳がん検診

みなさんは 乳がん検診は受けていますか??

この10月は ピンクリボン月間です。

月に1度の自己検診や 医療機関での検診によって 早期発見・治療を呼びかける事を

目的とし 各地で様々な イベントも行われています。

日頃 当たり前に生活していると まず自分が病気になるなんて

考えもしないですよね。

この活動は そうした何気ない生活の中で 自分の体の変化に関心を持つことや

乳がん検診を受けるきっかけに 繋がる事がねらいになっています。

3年前の検診で・・

実は 私 3年前に左胸の血管が ある日 異様に浮き出ていたんです。

元々 手の甲や足の甲の血管が浮き出ている体質なのですが

場所が場所なだけに 気になり 乳腺外来を受診したんです。

2人目と3人目 ほとんど切れ目無く 妊娠授乳を繰り返していたので 

なかなか 検診も受ける事が出来ず

以前に検診を受けてからだいぶ 時間もあいていました。

左胸の異常が気になり 受診したのですが

超音波で 異常が見つかったのは 見た目も違和感も何も無い 右胸の方でした。

精密検査を受ける事に・・

左胸の 血管が浮き出ているのは 更年期やホルモンバランスの変化で起こるもので

問題は無く 自然に元に戻るものだから心配は無かった。

右胸に出来たしこりは わずか3ミリほどで 異常の無い嚢胞なのか

それとも ガン腫瘍なのか 区別が難しいとのことで

新たに 予約を取り 精密検査を受ける事になった。

病院の帰り道 

病院に向かう時も とても 不安だった。

だけども 新たに 別な検査を受けることになってしまった 帰り道は

ものすごいスピードで グルグル 色々な事を頭の中が巡っていた。

もし 良くない結果だったらどうしよう・・・

手術になるのかな・・そうなれば 入院だよね

子供達の事はどうしよう・・

泣きたいような気持ちもあったけど まず 子供達をどうするか

その前に 検査の日の子供達の預け先にも 困っていた。

精密検査の予約日は 平日午後3時半辺りの時間帯で

当時次女は幼稚園 ぱる太も まだ2年生になったばかり。

お迎えの時間もあったし 実際に 家に時間通り戻れるかも 微妙だった。

唯一 相談出来たのは 長女だった。

長女は 当時入社したばかりの 新社会人だったが コロナの影響で

テレワークもあり 検査の日も家に居るようにしてくれた。

次女の バスのお迎えも行ってくれ ぱる太が帰宅後も 2人におやつを食べさせて

居てくれたのだった。

本当は 誰にも心配かけたくなくて まして 長女には余計に 親である自分の事で

迷惑かけたくなかったけれど

例え このような 深刻な状況を 夫で父親であるはずの ベンコロに話したところで

特段 なんの協力も得られない事から

長女には 申し訳なかったけれど 下の2人の兄妹の為に仕事を調整して貰う事に

なったのだった。

翌日の誕生日

C BによるPixabayからの画像

再検査が決まり病院から戻った翌日は 自分の誕生日だった。

なんと 皮肉な事だろう・・??

「自分はこの先 こうして誕生日を迎えられるのは あと 何回なんだろうな・・」

こんなにも 誕生日の重さを 噛みしめた事は それまで当たり前に やって来ていた

誕生日の中で 経験したことなど無かった。

そう 振り返ると 無意識に私は涙が出ていた。

自分に 残された時間って

あと どれくらいなんだろう・・・??

そう言う 漠然とした 不安もありつつ ただただ 残される子供達の事を思うと

絶望的な気持ちになった。

精密検査

検査は 至って シンプルなものだった。

注射器で右胸組織の 分泌物を抜いて調べるのだけど

麻酔は 皮膚に塗る気休め程度のもので 私には 全く効果が無かった為

激痛が走った。

額に脂汗が浮きながら なんとか痛みに耐え 検査は終了した。

結果は2週間後と言われ

再び 不安な気持ちのまま 病院から帰った。

家では 長女が心配して 待っていた。とても 申し訳ない気持ちだ。

そして 下の2人の世話をしてくれて 本当に有り難かった。

右胸に細い注射針を刺しただけだが そこから数日は 右腕に違和感があったし

胸自体も 少し痛みが残って居た。

もし 切除とか 何らかの手術が必要になった場合 こんな程度では済まないだろう

そう 思うと ますます 不安な気持ちで 結果の日を待つことになった。

その日が 近くなるごとに 結果を知る 怖さもあった。

早く はっきりさせたい でも もし 病気だと言われたらどうしよう

結果の日までの 2週間

私は これまでの自分の人生 これからの自分の人生を ひたすら 考えていた。

しばらく 会っていない友人や 子供達に残したいもの

それは それまでに 触れたことが無かった 自分自身の感情だったと思います。

結果の日

結果の日は 幼稚園と学校の時間内に来院出来たので 長女に迷惑掛けずに済んで良かった。

診察室に呼ばれる間中 もう 落ち着かなくて不安がピークだった。

いよいよ 呼ばれて 診察室に入ると 先生は

「あーただの水だったから、大丈夫」

そう言い 白黒の 私の胸の 超音波とかレントゲンとか

色々 見ながら説明を始めたけど

ホッとして気が抜けた私は その説明が 上手く頭に入って来なかった。

とにかく 病気じゃないのだ 良かったって事なのだと

仕事中の長女に LINEで知らせた。すぐに返事が来て 安心出来たこと

そして 病気じゃなかったことを 一緒に喜んだ。

おしまいに

今年の 2月に乳がん検診を受けたところ 右胸の嚢胞は消えていました。

そのまましばらく残る場合と 自然と無くなる事もあるそうで

今回は 再検査にならず 安心しました。

こうして 健康なまま 生きる道を与えて貰えたので

もっと それに対して 感謝をする心を持たなければ ならないな・・と

今回 この記事を書きながら 改めて 感じました。

乳がん検診は 痛みもあったり 胸を見せたり掴まれたりする検査ですから

若い年代の方だと 特に抵抗があるかと思いますが

この 記事が 受診をして貰えるきっかけになったら 嬉しいです。

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