
ゆり太です。。
ぱる太が 中学校に入学し
もうすぐ 1年経とうとしています
今回は ぱる太本人に
自身が 発達障害であることを伝え
その後 様々な葛藤を生んだ
出来事について
書いていきます
どうか最後まで お付き合い下さいな。。
こちらの記事も読んで頂けると
嬉しいです↓↓
告知
ぱる太は 小学5年生から
発達障害専門の
学習施設に 月2回
通っている
その帰りの 車の中で
思い切って ぱる太に
自身が 自閉症スペクトラムであること
学習障害もあること
ADHDであること
3歳から 数ヶ月に1度
通っていた場所が
療育センターであったこと・・
あまり 重苦しくならないよう
運転しながら
真後ろの 座席に座る
ぱる太に 話した
意外にも
「ああ それは ブログとかに書いてるし
なんとなく 知ってた」
「そうか・・」
言葉では そう言いつつ
内心 私は驚いていた・・
このブログを 始めたばかりの頃
ぱる太は まだ5年生
スマホは 持たせていなかった
だから しきりに
ここに 私が書いている内容について
知りたがり
学校から貸し出されている
クロムブックで 検索をかけるも
制限が かかっているらしく
内容までは 見れないと
当時 言っていた
もう このブログに
とっくに 興味など
無くなっていると
勝手に 思っていたのだけど・・
スマホを手にし
ある程度 自由に色々
調べられるようになって
この ブログも 覗いていたのか??と
思うと 何とも言えない
気持ち・・
言葉で 詳細に本人に
面と向かって 伝えきれない
私の 思いとかも
ここには ありのまま
書いていたりするので
ある意味 このブログを
残しておいて
良かったのかな・・??
なんて 少しだけ そんなふうに
思えたりもした
三者面談
昨年12月 三者面談があり
そこの場で
2年生から「一般級」か「個別級」
どちらにするのか??
先生から 尋ねられることを
事前に ぱる太に 伝えていた
実は 当初 この三者面談を
私は 断っていた
夏休み前に 行われた
三者面談で 担任の対応が
あまりにも酷く
その後も 散々な状況に
わざわざ 時間を割き
この担任に
話を聞きに行く必要性を
全く 感じなかったからだ
11月末 日程希望の
調整カレンダーに 全て斜線を入れ
備考欄に 「面談を希望しない」と
書いて 提出した
後日 学年主任の先生から
電話があり
これまでの 担任との
関係性のまずさを
察するように
「2年生に関わる 面談なので」
「もし 私でよければ・・」
かなり 控えめな口調で
おっしゃって頂き
とても 申し訳無い
気持ちになりつつも
学年主任の先生の
ご厚意に 感謝し
ぱる太と 面談に臨んだ
ぱる太の選択
「一般級」か「個別級」
ぱる太に 尋ねた時の 答えは
「わからない・・」 だった
昨年9月に 私だけで
学校に出向き 学年主任の先生方と
お話をさせて頂いた時は
「個別級にするのが ぱる太本人の為」
そう ある意味 決定事項的な
方向に 話は進められつつあった
なので 私も
「わからない」と言う ぱる太の
本心を 知りつつ
この日の 面談の中で
2年生から 「個別級」に
向けての流れを作るべきと
ぼんやり心の中では
思っていた
けれども 「分からない」と
言っていた
ぱる太の 面談当日の 答えは・・
「今のまま 友達と居たい」
「個別級を選択する」 当然 そうすべきと
思っていたであろう
学年主任の表情が
急に 険しくなり
うつむく ぱる太に
「今のままじゃ 高校は無理だよ?」
「中学卒業したら どうするつもり?」
そう まくし立てる 男性教諭に
ぱる太は ボソボソ
聞き取りづらい声で
「コンビニ店員にでもなる」
コンビニ店員にでも・・
この ぱる太が不意に
言葉にした「にでも」に
学年主任の眼光が より
鋭く 険しくなり
「今の キミでは コンビニ店員も無理だよ」
そう やや 腹を立てたように
ひたすら 下を向き
この 重苦しい時間が
過ぎ去るのを 耐える
ぱる太に 言い放った
小さくなっていく我が子の横で
私は 一体 何を
見せられているのだろう・・??
ガラス張りのケースを
まるで 外側から眺めているかのように
先生と我が子の姿を
ただ ただ 見つめるしかなく
その後 しばらく
重たい 沈黙が続いた
いつか手を離す時
校門を後にし ぱる太と
無言のまま だらだらと 長い
下り坂を 歩く
今日も また 複雑な思いを
抱えるだけの 帰路だ
どうして この子の 子育ては
いつも こうなのだろう・・??
やるせなさを 奥歯で
嚙み締めた
結局のところ
みんなと 同じに出来ない
扱いずらい生徒は 別な場所に
隔離したいのが
学校側の 本心なのだ
「これが キミのためなんだよ」
面談中 学年主任が
そう 何度も 口にしていた
「個別級なんてヤダ」
本当は そう 言いたい ぱる太だけど
自分の弱さを 知ってるだけに
「今のまま 友達と居たい」
そう 言葉にするのが
精一杯 だったのだろう
学校側から 個別級にすべきと
判断されてはいるものの
今現在 ぱる太が毎日ちゃんと
学校に 通えている
原動力となっているのは
友達がいてくれる その環境なのだ
そこを 今
無理やり取り払う事は
ためらわれる
学力さえ 追いつけば
ぱる太の 今の立場を
学校側に 担保させることが
出来る・・
その日から 私は
再び あちこちに問い合わせ
時に 足を運び ぱる太の
新たな 学習施設を
探している
今 通っている 発達障害専門の
施設は 今年度いっぱいで
辞める事にした
発達障害専門でない 一般の塾でも
個別なら 対応してもらえると知り
範囲を 広げ検討している
そして ここしばらく
週末 ぱる太を いくつかの
塾に 体験に行かせてみた
今度は 自分で通えるように
させるつもりだ
当事者である ぱる太は
塾に 放り込まれることに
だいぶ 抵抗をあらわにしているが
自分が 「今のまま」で
居たいのなら
相応の 努力が必要であることは
知るべきなのだ
精神的に まだ幼い ぱる太には
きっと 私の この考えに
反発を 覚えるだろうし
実際 このところ
これまでに無い
反抗的な言動を
ぶつけてくるようになった
遅かれ 早かれ
この手から ぱる太を
離さなければならない
いつまでも いつまでも
心配で 手離せないままでは
父 ベンコロのような
人間に なりかねない
「個別級」ではない
選択を 自分の意志でしたのなら
その 責任は
自分で 果たすしかない
親の私に 出来るのは
ご飯と 洗濯 清潔な寝床を
常に提供し
病気になったら看病する
おそらく それぐらいなのだ
例え この選択に後悔する事が
あったとしても
人生で初めて 控え目ながら
ぱる太が 自分で自分の環境を
選べたのだから
それで いい
今日も ここまで お読み頂きありがとうございました。。


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