美容師だった頃。。

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このところ 長女に関する投稿が続いて居る事に ふと 気付いた。

長女は 中途採用で入社したばかりの仕事も 行き詰まりを 感じているようだ。

振り返ると 私自身も 今の長女と同じくらいの 2,23歳当時 なんだか色々と大変だった気がする。美容学校を卒業して 3年目位の頃は もう 毎日 仕事を辞めたいと思わない日は無かったくらい ボロボロになっていた。

仕事柄 日々の練習は不可欠だった。練習と実践はかなり異なる部分も多く 日々緊張と失敗で精神的にも しんどかった。

そして 上下関係が未だに根強い業界でもあり お昼も先輩達より 早く食べることは 出来ない。

そのため 毎日のように 閉店まで 何も食べれず 腹ぺこのまま 仕事をし続けていた。

アシスタントから ジュニアのスタイリストに昇格しても 自分の下が入ってこなければ

相変わらず下回りの仕事も 自分がやらなくてはならず 仕事量が倍増しただけだった。

そんな 店の体質に 嫌気がさして 3年目過ぎた頃 初めて就職したサロンを辞めた。

当時 まだ 実家に住んでいたお陰で 薄給でも車を持っていたし 仕事も辞めれた。

高校卒業後は これまでに無いほど 真面目に学校に通い 死ぬ物狂いで勉強もし インターンをしながら 国家試験も取らなければならなかった。

平日休みで まだ 学生やってる友達とも 全然 遊べてなかったので 仕事を辞めてからは 毎日のように友達を車に乗せて遊びに出かけた。

その傍ら 美容師専門の求人誌には くまなく 目を通していた。

あるサロンが気になった そこは 日本全国と 海外にも何店舗か展開している 大規模サロンだった。

個人店でしか 経験が無い自分には とてもハードルが高く思えたが 取り敢えず エントリーしてみた。 すぐに 担当から連絡があり 新宿に有る事業部まで 面接に行くことになった。

美容学校は高田馬場だったから 毎日新宿を通過して学校に行っていたけど 事業部がある南口はあまり おりた事は無かった。 少し迷いながらも なんとか 到着した。

ビルのエレベーターを降りると 中年のガタイのイイおっさんが私を迎えた。

(のちにこのおっさんが次長だと知る)

そこは トレーニング施設も兼ねているようで シャンプー台やセット面もあり 何人か研修を受けている様子も ガラスの壁越しに見えた。

「で、なんで 前のとこ 辞めたの??」 ニヤニヤ しながら ムダに日焼けした ガタイのイイおっさんは 聞いてきた。

「あー・・・なんか イヤだったからですかね」

テキトーな受け答えをした。

「まだ 遊び足りないだろ??ひと月後からスタートにしよう」 おっさんは提案してきた。

おっさんの言うとおり 私は

7月の1ヶ月間 遊びまくって 8月に再び 新宿のトレーニングセンターに行くと

おっさんがまた出迎えて

「俺より 黒いじゃねぇかよ!!笑」と、

週3回 海に行きまくり 真っ黒の私を見て また ニヤニヤ 言った。

8月の 1ヶ月間 ずっと トレーニングセンターで技術的なチェック ミロード前で モデルを探し

トレーニングセンターに連れて行き カットする日々だった。

モデルが 見つからず 1日空振りする日も珍しく無かった。

ちなみに この研修期間は交通費はおろか 給料も発生しない。全くのひと月タダ働きなのだ。

なんとか 研修を終えて 9月に店舗に配属となった。

瞳の白さが際立つほど日焼けした私は 店舗で 国籍「バリ島の人」と名付けられた。

店長初めとする ピラミッド式の序列は まるで軍隊のようにも思えるが

年次によって役割がきっちり明確に分けられているから とてもやりやすく 自分の仕事にも集中できたし 仕事内容を除いては 変な上下関係も無く

前の個人店よりも かなり 風通しがよく 思えた。

ここで 私は 美容師としての様々な経験を積むことが出来た。

長女も仕事は違えど 今は 日々を乗り越えるのに 必死なんだと思う。

トライ&エラー は 人を成長させると 思っている。

お名前.com

アイキャッチ画像:phantomasによるPixabayからの画像

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