みなさんは 子供の頃 どんな環境で育ちましたか??
幸せな家庭って 具体的に どんな家庭を指すのでしょう
経済的に 恵まれて 両親も兄弟も仲良しで
いつでも 温かく 安全で 安心できる 居場所・・
しかしながら そのような 環境とは ほど遠い家庭も
少なくありません
今日は その辺りを テーマに書いてますので
どうか最後まで お付き合い下さいな。。
これまでに 何度もこのブログでも 書いているのだが
私は 県営団地で育った。
母が私を妊娠中に 父が交通事故に遭い 収入が0になってしまった時に
ダメ元で 家賃の安い 県営団地の抽選に 申し込みをしたら 当選したと言うのだ。
当時 新築だったこの団地は 倍率が高く
母は いつも 宝くじでも 当てたみたいに 誇らしげに話していた。
間違い無く 父と母は それで一生分の運を使い果たし その後の人生は めちゃくちゃだった。
県営団地は ある一定の 生活困窮条件を満たしていなければ 入居出来ない。
裏を返せば お金を持っている人は 決して入れない
そのため ビンボー団地と言われたり
更に 飛び抜けて この団地の評判は良くなかった。
暴走族が 深夜 団地内を爆音で走り回り ガラス瓶を窓から落とす人が居たり
夜逃げや 喧嘩 もう なんでもアリだった。
特に 私が暮らしていた3号棟は とんでもない事件が 多かった。
5階建て 10世帯ごとに区切られ エレベーター無しの 階段 今もよく見る 古い団地の造り。
私の家の 縦1階段だけでも
非常にバラエティーに富んだ 家庭だらけ
ウチは2階の角部屋
すぐ隣は プロボクサーの家族 1階は中国人家族 3階は虐待の物音が絶えない家族
その上4階が 今回テーマにする Jちゃん一家だ。
Jちゃんちは夫婦2人と子供3人 5人で住んでいたが
お父さんは仕事をしているのか不明で
お母さんは 水商売をしていた。
3人の兄弟と 私も私の兄も仲が良く
幼稚園も団地の子は 大体 みんな同じ 幼稚園に通っていたので 一緒だった。
1番下のJちゃんは 私と年も近くて よく みんなで遊んで居た。
Jちゃんは よく自分の家に 私や近所の子を呼び 招き入れてくれるのだが
いつも いつも
家の中は 足の踏み場も無いほど散らかっていて ゴミも溢れていた。
そして 県営団地では 禁止のハズの猫も飼っていたから オシッコの悪臭も立ちこめていて
実は みんな Jちゃんちに呼ばれるのは 苦手だった。
団地の子供達が 通っていた幼稚園は 園バスが無く 徒歩通園だったので
ご近所 輪番制で 毎日 お母さん達が交代で 近所の子供達を まとめて送迎していた。
私は 自分の母を好きでは無かったので よその 優しいお母さんが送迎の日は
なんだか 心 軽やかだった。
Jちゃんのママの日を 除いては・・・
Jちゃんのママが お迎えの日 私たち3号棟グループは いつも居残りになった。
みんな お迎えが来て 次々他の友達が帰って行っても
私たちは いつも 最後まで残り
寒い冬の時期等は 職員室に移動して お迎えを待つことが 結構あった。
やっと 迎えに来たJちゃんのママは いつも お酒の匂いをさせて フラフラしながら やって来て
私たちを 近くのスーパーに停めてある車に乗せた。
運転席を見ると いつも 知らないおじさんで
私たちを 家まで 運んでくれたのだった。
この おじさんが Jちゃんちのパパで無いのが 不思議でありつつも
誰なのか尋ねては いけない雰囲気を みんな 幼稚園児ながら 感じ取っていた。
ある日を境に
Jちゃんのママを見かけなくなり 家にはJちゃんのパパだけになった。
大雨が降り続き 近くを流れる河川も 危険な状態
あろうことか 4階自宅の 全部の窓を 全開にして出かけた Jちゃんのパパのお陰で
階下の家は全戸雨漏りし 大損害を被った。
私も大切にしていたオルガンに 雨粒が 激しく跳ね返る音で目を覚まし
バスタオルや タオルケットを被せて 夜明けを迎えたのであった。
1階の 中国人ファミリーも 布団から襖から ベチャベチャになったと
翌朝 ウチの母に愚痴っていた。
そんな 大損害を与えながら 数日後 Jちゃんのパパは
のろのろと カルピスの瓶 1本片手に お詫びにやって来た。
この 非常にカジュアルな謝罪に 母は納得出来なかったらしく
1階の 中国人ママと憤慨していた。
『枚挙に 遑が無い』とは このことかと 言うほど Jちゃんのパパは 次々問題を起こす。
ある朝
新聞を集合ポストに取りに行こうと ドアを開けると
ピンクの粉が まるで雪の様に 階段中を覆い尽くしていて 驚いた。
恐る恐る サンダルで踏むと 独特な踏み心地・・・
慌てて 母を呼ぶと その光景に絶句していた。
この ピンクの粉の正体は 消化器だった。
各階ごとに設置されていた 消化器のホースが伸びて あちこちに散乱している。
あっという間に 大騒ぎになり 一斉にホウキとちり取りで 住人たちが掃除を始めたのだった。
これもまた
Jちゃんのパパが 酒に酔い潰れ しでかした事だった。
この頃になると もう Jちゃんのパパは迷惑住人として ウチの階段だけでなく
棟全体からマークされるように なっていた。
Jちゃん兄弟も ママが彼氏と住む 近くのアパートに引っ越していった。
実は この 愛の巣にも 私と近所の子達は Jちゃんに招待されたことがあり
もはや ここまで ドロドロしてくると 隠す必要も 無いのだろう。
アパート移住後も Jちゃんは団地の公園に よく来ていたし
パパの住む家にも 自由に出入りしているようだった。
時は 流れて 私は 高校生になっていた。
真夜中に またも 事件は起こった。
4階の Jちゃんのパパんちから 男女の言い争う声と 悲鳴に近い叫び声
そして2階の私の家にまで響く 鈍い音 深夜の 2時か 3時頃だ
個人タクシーだった父は その日は暇で いつもより 早めに帰ってきた頃
「ぎやあああああ」 だか
「ぐわあああああ」 だか
とにかく ものすごい叫び声と 共に ドスンと 地面に何かが 落ちる音がした。
近所の住人達は みんな窓を開け 外を見るなり それぞれ声を上げ
ドアを開け バタバタと みんなが階段を駆け下りる 音が響いた。
そのうち 救急車やパトカーのサイレンが 聞こえ
赤色灯の光が カーテンの隙間から ぱちぱち 瞬きするのが見える
仕事から戻ったばかりの父も 慌てて下に 降りて行った。
恐ろしすぎる状況に 恐くて外を見れなかった。
翌朝 父と母から聞いた話だと
酒に酔った Jちゃんのパパが 交際女性と揉み合いになり 窓の柵から誤って
女性が転落したと言うのだ。
その 柵は単なる柵であり ベランダのように足場も広くなく
揉み合いをしようにも 2人が立つようなスペースも無い。
意図的に 女性を抱き上げるか 本人が自発的に乗り越えない限り 落下するなど有り得ない。
しかし Jちゃんのパパは
事故だの 女性の不注意だの 自分は関わっていない等の 供述を
駆けつけた 警察の人に 必死で訴えていたと言うのだ。
その後 Jちゃんちは空き家になった。
Jちゃんのパパは 何らかの罪に問われたのか どうかは 不明のまま・・
その後
母が 近所の人から 転落した女性が
一命は取り留めたものの 植物状態との話を聞いたとか・・・
記事を書きながら ふと 幼稚園時代
Jちゃんちの 流し台に置かれていた 小さな 鉢植えの事を思い出した。
Jちゃんは それを 『しあわせの木』 と 呼んでいた。
この 記事を書くにあたり 調べてみると
『ドラセナ マッサンゲアナ』 という種類の
観葉植物で 本当に 「しあわせの木」と呼ぶらしく 驚いた。
Jちゃんは それに いつも手を合わせて お願い事をしていた。
何をお願いしていたんだろう??
大人になった 私は そんな Jちゃんの姿を思い出し 少し切なく 思える。
様々な 事情を抱える 人が多く 集まる県営団地は
今 振り返っても ものすごく 大変な出来事ばかり あった。
また 別な機会に 書きたいと 思う。。
ここまで お読み頂きまして ありがとうございました。。
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