今日は ぱる太をフリースクールに連れて行く前に 記事の下書きを大体終わらせてあったのだけど
急に もっと違ったことを書かねば・・・と?!、なり 新たな 内容で書かせて貰います
どうか最後まで お付き合い下さいな。。
ぱる太をフリースクールに送り届けたその足で 次女を小学校まで迎えに行った。
先日の記事にも書いたのだけど
次女の左目に異常が見つかり 今日は学校を早めに終えて 病院で精密検査を受けてきた。
詳しくはこちらの記事↓↓
検査は 様々な点眼液を目にさして 小刻みに時間を置いて
視力を測りながら また別な点眼液を入れ・・を 数回繰り返し
何度目かの点眼液を入れ終わると
「1時間ほど置いてからまた視力を測るので 退屈だったら 外出して戻ってきても良い」との事で
長女と駅の中の 書店に行くことにした。
私たち親子は 「ヨシタケシンスケ」さんの本が大好きで
既に 何冊か家にあり 夜の読書にもかなりの頻度でお出ましする いわば 「愛読書」ばかり。
そろそろ また あらたな ヨシタケさんの本が欲しいな・・と、思い
コーナーに行くと
次女が 迷わず手にしたのが 「みえるとか みえないとか」と、言う タイトルだった。
他にも 色々面白そうなヨシタケさんがあったから
次女に
「こんなのは どうぉ??」と、勧めるも 意思は堅く 本人がいいなら いいかな・・って
レジに行き会計をして スマホの時計を見ると
病院に戻るまで まだ あと30分以上あった。
本を手に すぐ近くの ミスドでおやつを食べることにした。
透明のフィルムできつめにパッキングしてあり 本はすぐに開くことが出来ない。
次女と病院に戻ってから 待ち時間の時に開けようという事にした。
なので 本当に 本の内容は全く知らないで購入したのだった。
病院に戻り 早速 次女は待ちきれ無いと言わんばかりに フィルムの隙間に爪を食い込ませて
大胆に開封し 表紙を開くと
いつものヨシタケさんの本では 目にしたことが無かった冊子が挟まれていた。
次女が選んだ本は 偶然にも視覚障害のある人について書かれているようだった。
美学者・伊藤亜紗さんの「目の見えない人は世界をどう見ているのか」という 著書をきっかけに
ヨシタケシンスケさんが 子供にわかりやすいように 絵本にしたものだった。
見えない人から見た見える人の世界や
見える人が見えない人に対して 内心どのように関われば良いのか分からない
それは どうしてなんだろう??
視覚障害者に限らず 様々な障害者に対してのイメージって なんとなく
「不自由で可哀想な人」「障害について触れるのは悪いこと」
だから 健常者はあまり 積極的に障害者に関わろうとは 思わないのかも・・・
ヨシタケシンスケさんらしい 視点で書かれているのを読んでいて 何度か 泣きそうになった。
正直 私も 2人の子供達の それぞれの障害を まだ 受け入れ切れていないと思う。
その 裏には 口ではそんなことは無いとは言いつつも
やっぱり 「普通」に何とか近づけることが出来たら・・と、言う思いが
自分の中にまだあるのだと この本を読んで気付いた。
親だから 子供に何があったって受け入れよう、受け入れるべきだと、
一般論ではそうなんだろうと 思う きっと・・
ぱる太の自閉症もADHDも 生まれつき脳の一部の機能に異常があるからで
次女の左目の眼球の異常も 生まれつきだから 誰のせいでも無いのだと 病院でも言われた。
この 2つの事実に共通して言えるのが
「みんなと違う部分を持って生まれてきたこと」
それを 隠したいと思えば 周りも触れないようにする仕組みが
世間では既に完成し尽くされている。
だから きっと 私は 自分が障害者の家族になってしまう事に対する抵抗を 当たり前に 持っていたんだな。
子供達に対して そんな気持ちを心にしまってある事自体が 申し訳なかったり 自分は最低な親だと思ったりもする。
ただ 完璧に受け入れられている親も おそらく居ないのだ。
次女は 左目で見る力が右に比べるとほとんど無く 左目だけで見るようにする訓練や
矯正する眼鏡もかけることになった。
この前ぱる太の作った眼鏡は自己負担の処方箋であったのだが
今回は 弱視と診断が付いているので 保険組合に手続きをすると 何割かの補助が受けられるとの事だった。
色々 落ち込みそうに なるけれど こうして記事を書くこと 誰かに読んで貰えることが
励みになっています。。 ありがとうございます。
まだ・・全然 誰も
このサイトに訪問して頂けて無いので お礼が 独り言みたいで ダサいんですけどね笑
アイキャッチ画像:CouleurによるPixabayからの画像
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