まだ 外出NGの ゆり太です。。
熱が 治まっても 様々な
不調に 悩まされ
本当に 厄介な病気だと
身を持って 実感しております・・
自分が病に伏している
病気の子供と
通常通り 学校に行く子供
如何なる 状況であっても
それらは 待ったなし・・
おそらく 誰もが
抱えたことが あるであろう
子育ての ピンチ
今日はそんなこと書いていきますので
どうか最後まで お付き合い下さいな。。
再検査
かかりつけの 小児科で 抗体検査をして貰ったところ
私は その場でコロナ「陽性」
同じように 高熱があるのに
次女の判定は 「陰性」のまま・・
私が「陽性」なので 時間を空けて
再検査をしたいところだったが
あいにく 翌日 病院は お休み。
検査キットを手渡され 翌日自宅で
次女の再検査するよう 先生に言われ
薬を処方して貰い やっと帰宅。
スグにでも 座りたい 横になりたい
フラフラになりながら トイレに入った。
高熱が出ている間中
私は とんでもなく トイレが近く
夜中も 何度も トイレに行った。
薬が出来上がるのを
車の中で 待っている間も
実は トイレを我慢していた。
普段なら 病院のトイレを 借りれるけれど
この日は 検査も 病院の外で受け
薬局も 建物の中には 入る事はせず
車の中から 電話でのやり取りだった。
ゲロまみれ
緊迫したトイレ問題から スッキリ解放され
1階の 廊下を見に行くと
床に ゲロが まき散らされ
次女が 洗面所のタオルで
慌てて 拭き去ろうと 必死だった。
高熱と体の痛みと 病院から帰って来た疲れ
やっと 休める やっと横になれる・・
なのに なんだ? この 光景は??
もう 悪夢よりも 地獄でしか無かった。
「もう!なんで?? どうしてここで吐くの!!」
思わず 次女に 怒鳴り散らしていた・・
病気の 我が子に 怒鳴り散らすなんて
一体 何やってんだ??って 感じ。
だけど 私も 病院 連れて行く時点で
既に 限界は超えていたのです。
40℃近い ヒドイ熱・・
自分だって 助けて貰いたいくらいなのに
やっと 帰って来れたのに・・
ゲロまみれの 次女を 風呂場に行かせ
床や 壁に 飛び散った吐瀉物を
泣きそうに なりながら 片付けた。
ゲロにまみれた タオルや 次女の靴下は
そのまま ゴミ袋をキツく縛って 捨てることにした。
ウイルスを広めない 意味もあったが
この時の 私に すぐさま
それらを 手洗いして 塩素で消毒して・・とか
出来るような 気力も体力も
残されていなかった。
神様 仏様 「松屋様」
まるで 火の中にでもいるような・・
体中が 焼かれてるみたいに 熱くて痛む。
私も 次女も 食欲など あるはずもなく
夕ご飯の時間を すっかり忘れていたけれど
留守番をしていた ぱる太は
至って元気で 腹ぺこなのであった。
トイレも我慢していたし 次女もツラそうだし
何処か 買い物に寄ることも出来ず
ぱる太の 夕ご飯も 家で
どうにかしなくてはならなかった。
幸い 買い置きしていた
冷凍の「松屋 牛めしの具」があったので
残ってたご飯に乗せ
味噌汁も インスタント。
冷凍庫を開け この「松屋」さんの姿を
目にした時
「松屋」さんだけが
今の 私の味方だと
ああ・・「松屋」さん
もう
「松屋」さんは 神なのですね
地獄で 仏的存在であり
心底 「松屋」さんに 感謝。
レンジアップだけで スグに食べさせられて
(ちなみに私は ジャガイモと白滝を使って
「肉じゃが」なんかにも使います。)
もう この日は
ゲロ処理で 打ちのめされ
ぱる太の夕飯など
絶望的な状況だったので
本当に 助かりました。。
緊迫した状況の学校
5類に分類され 家族に感染者がいても
学校に行くことは 可能になりましたが
インフルエンザとの同時流行で
学校側も ピリピリ緊迫した状況・・
朝に 受診と検査を求める電話が
かかって来ていたのでした。
ぱる太に 松屋・・いえ 松屋さん・・
違う!! もう・・神である松屋様を
食らわせながら
肉まんのように 湯気でも
上がってそうな 熱いホッペに
電話を押し付け 学校に 連絡。
用件を伝え終わり 床にへたり込んだ
やっと・・やっとだ・・やっと座り込める
寝そべられる・・
そう思ったのも 束の間・・
キッチンには 前の日からの食器が
シンクを 埋め尽くしていた。
無言で 食洗機にガチャガチャ詰め込んで
入りきらないのは 手洗い
スポンジを持つ手に 力が入らない
全身を 支えてる足は
トゲトゲの 黒い鉄球付きの 鎖で
繋がれてるみたいに 重い・・
ソファーに倒れ込み そのまま そこで
眠ってしまった。
体中が痛んで 途中 何度も起きたけど・・
今日も ここまで お読み頂きまして ありがとうございました。。
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